2月10日
犬の散歩に来る度に落ち込む。
アビスをクリアしてしまって手持ち無沙汰なので日記を書きます。
少しずつ読んでいたロスジェネの別冊を読み終えました。
昨年起きた秋葉原無差別殺傷事件を特集している号です。
非常に痛ましい事件でしたが、私はあまりテレビも見ないし、新聞はちょっと読むけれどあくまでもちょっとで、よく分からない人が突然大勢を殺すなんてとんでもない世の中になったなぁくらいにしか思っていなかった。
たまたま事件があった翌週アキバに遊びに行ったんだけど、グレン団のTシャツ売ってる欲しい!とか言って友達とキャッキャしてた時にお線香の匂いがして、ああ、そうかここが事件があった所かと思ったくらいでした。
鈍感である。
献花台にたくさん花が備えてあって、同人誌とかもあったと思う、テレビのカメラがウロウロしていて、なんだかなぁと。
丁度事件があった時刻頃だったから、一歩間違えば自分もここで殺されてたかもなぁ、怖いなぁ、みたいな。
その頃は今の仕事を始めて間もなかったし、今よりは精神的に安定していたので、犯人が派遣社員だったとか言われても特に何も感じなかった。
で、今回のロスジェネを読んで思ったこと。
今の社会がコミュニケーションスキルを求めすぎる、という一文があったんだけど、大いに同意した。
正社員って結局コミュ力だもんね。
面接だって何が一番見られるかっていうと、周囲と上手くやっていけるかどうかって所だと思うし、営業職とか企画とか、ゆくゆくは人をまとめていく立場になる人達が正社員の内訳の主なところだから、コミュ力ないと終了なんですよ。
コミュ力がいらないような仕事はほとんど非正規でまかなっている。
かつての日本はどうだったかっていうのが、知識不足で分からないんだけど、でも現在は猫も杓子もコミュ力です。
自分の内側にこもってしまうような人は、そういう特性がいかせる専門職にでも就かない限りあまり道がない。
専門職っていうのは当然専門性が高くて更に狭き門だったりするから、あぶれる方が多いわけで。
サークルで飲み会三昧だったリア充がガンガン就職していくのはそこだよね。
その後に書いてあった、承認欲求の話もなるほどなと思った。
お金をたくさん稼いで正社員でいること
これが一番分かりやすく社会から認められる形ですよね。
つまりここから外れると異端なわけですよね。
承認の幅が狭過ぎると書いてあったけど、まさにその通りです。
もちろん選択肢も可能性も無限にあるだろうけど、きちんと働いてお金を稼いでやがて家庭を築くこと以外をしようとした場合、余程成功しなければただのだめな人としか見られない。
普通の人として生きていく限りこのレールから外れたらただの落伍者です。
あの人もういい年なのにまだ独身なんだって、みたいなね。
まともに働いていても一定年齢を超えたらいくら晩婚化が進んでいるといっても未婚であることは特殊になるんだろうし、少なくとも私の親くらいから見るとそうなんですよ、そこに非正規雇用が加わったらと思うと…。
無限の可能性がある割にはごくごく狭い範囲でしか良しとされないこの矛盾は一体…。
しかも自分を産んだ両親が普通に成し遂げてることなわけで、特別でも何でもないわけですよ。
働いて家族と一緒に生きていくなんて大昔から人間がやってきたんだから。
じゃあ何故それが出来ないのか。
劣っているからか。何が。コミュ力が。
働くのにもコミュ力。恋愛するのにもコミュ力。結婚するのにもコミュ力。
昔はどうだったかよく分からないけど、少なくとも今はコミュ力がなければ何も始まらないどころか速攻終わる。
認められず異端として扱われれば大抵の人は苦しくなる。
普通ができない、つまり劣っていると。
しかし認めてもらう為の足がかりすら掴めないとなると苦しさのスパイラルに陥って抜けられなくなる。
巻末に犯行直前の書き込みが全文掲載されていました。
彼のしたことは絶対に許されることじゃないという前提の下だけれども、共感を覚える部分が多かった。
全て自分を悪者にするところ、今までの変化は全て悪い方向への変化だったと言い切るところ、キリがない。
犯罪者予備軍が溢れてるとも書いていた。
まさにその通りだと思う。
私だって少し違えばそっち側にいく可能性はあるわけで。
私でさえそう思うんだからもっともっとたくさんそう思ってる人がいるわけで。
困った世の中だよなぁ。
どうして何でも二極化する極端な作りになってしまったのか。
中庸っていうのは大切だな。
ロスジェネ 別冊 2008―超左翼マガジン 秋葉原無差別テロ事件「敵」は誰だったのか?
- 出版社/メーカー: ロスジェネ
- 発売日: 2008/10/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
貼り忘れる。